本人の自己決定を支持することは、SWとして重要な役割です。
ただ、こんな場面はありませんか?
喉頭がんの根治を目指すには、「手術」しかないです。
今、手術をすれば根治の可能性があります。
でも、手術をしない場合、今後手術できるかどうかわからないので命にかかわる状況です。
自分の声をなくしたくないので「手術だけは嫌だ」。
他に方法はないか探したい。
そうだ、〇〇療法というのを聞いたことがあるのでやってみたい。
このような場面に立ち会うと、本人の自己決定とその決定の妥当性の間で、SWとしては、どのように支持をしていくべきか迷うことがあります(ジレンマ)。
実際に、自分が経験したケースです。
今でも「何が正しかったのか、正しい答えはあるのか」という自問自答をします。
みなさんはいかがですか?
同じような場面でなくとも、何かを決めるときに、その反対側にある利益や不利益を考えることはあると思います。
そんなみなさんにご覧いただいて、グループワークや事例検討会をしたくなるケースをご紹介します。
目次
宣告
「がんが見つかりました。今、手術をすれば根治の可能性はありますが、手術をしないと治りません。」
のどの調子がおかしかっただけなのに。
風邪だと思って病院に来ただけなのに。
突然の“がん宣告”。
本人もSWも突然のことで茫然自失状態でした。
絞り出した第一声。
「治りますよね?」
担当医師は、手術をすれば治る可能性があると、再度同じ説明をしました。
「わかりました。お願いします。」
本人は、手術に同意をして、手術ための準備段階に入りました。
手術当日
「やっぱりやめたい。」
本人がそう言って、手術をキャンセルしました。
まず、SWとして、「手術をキャンセルした気持ち」(理由)を確認する目的のために傾聴することとしました。
ゆらぎ
本人の決め手
生命身体に関わる重要な決断をする場面では、往々にして“ゆらぎ”があります。
“ゆらぎ”とは、「社会福祉を実践するなかで援助者やクライエント(本人)、家族などが経験する動揺、葛藤、不安、あるいは迷いなど」を意味します(尾崎新 「ゆらぐ」ことのできる力 ゆらぎと社会福祉実践 誠信書房)。
今回のAさんのゆらぎは、
「治したい」
「声をなくしたくない」
との狭間で起きているゆらぎでした。
Aさんにとっては、「声」それも「自分の声」という点に重きを置いていました。
発声法の提案
もちろん、手術をしても「声」が出せるようになるという医師の説明はありました。
有名なところですと、つんく♂さんが手術をして発声できるようになるということを体現されておられます。
でも、本人にとって重要なことは「声」といってもなんでも良いわけではなく「自分の」という点でした。
どうしても「自分の声」が良くて、「新しい声」ではダメというのです。
ゆらぎと“振り回る”コト
支援者が本人(クライエント)の意向に振り回されることはよくよくあることです。
でも、このときに
「本人の意向だけに翻弄され、支援者もいら立ちを覚える」
のと、
「本人に今後の見通しを説明した上で、出された自己決定を支持」
のとでは、大きく違います。
これが、振り回されるのではなく、“振り回る”ことだと考えています。
このようなケースのまとめとして、SWの基本として、「根拠に基づく実践」ということを軸に言語化していこうと思います。