ハラスメント博物館(笑)
僕が勤務していたところの名前です。もちろん例えです(笑)
今でこそ社会福祉士事務所を起業して、自由とやりがいを持って仕事できています。
「ハラスメント博物館」というのは、精神的にも追い詰められたことにも気付かずに限界まで勤めていた会社のことです。
そこで、感じたこと、学んだことが今の生活にどう活きているかを考えてみました。
目次
やりがいをもってた1年目
就職
法科大学院を修了して、最初の1年は司法試験にチャレンジしてました。当時は、修了後5年で3回までという受験資格の制限がありました。
1回目の司法試験に撃沈して、勉強を兼ねて会社に就職しました。
仕事しながら司法試験にチャレンジして、ゆくゆくの就職のために武者修行というくらいのやりがいをもってました。
早く仕事ができるようになるために、雑用から法律事務までなんでもやりました。
やりがい
職場の人間関係は非常によかったです。
さらに、仕事内容も民事、刑事、家事(離婚、遺産分割)など多岐にわたりました。中でも、今の仕事につながる成年後見業務は、とてもやりがいを感じていました。
成年後見は、認知症、精神障害、知的障害などが原因で日常生活の中でもに大事な判断をするときに支援が必要な人の「権利を守る」ことを目的とした制度です。
このときは社会福祉士の資格を持っていませんでしたが、「自分だったらこの人のためにこうしたい」と思うようになりました。
このときの思いが、社会福祉士資格をとるモチベーションにもなりましたし、独立して自分自身の相談援助をしたいという強い動機付けとなりました。
同僚へのハラスメントに恐怖した2年目
いつからか会社の雰囲気の違和感を感じるようになってました。
違和感の源は、ボスの行動でした。
○朝の挨拶をしてもスルー
○仕事がたまってるとブチギレ
○ロッカーの扉に八つ当たりしてワンパン
これらはほんの一例です。
必ず会社内にターゲットを見つけ、いじめるだけいじめて仕事から干してしまう、、というのを目の当たりにして違和感を感じ始めました。
自分にも降りかかった3年目
正確には
1年目からハラスメントのあおりを受けていたような気がします。何分、しんどすぎてそのときの記憶が曖昧なんです。
干された、、
ついにターゲットになり、仕事から干されました。
会社内で干されると、仕事が回ってきません。
自分が担当していた案件でも、同僚に押し付けられてしまってました。
その中でも一番キツかったのが、「平常時」は残業は当たり前なのに対し、「干され時」は定時に帰らないと上司がキレられてました。自分のせいで人が怒られる。これが一番精神的にキツかったです。
サービス残業という名の酒席の付き合い
仕事が終わる頃には終電がなくなることが当たり前になってました。
そうするとビジネスホテルの住人となるのですが、それよりしんどいことがありました。
ボスとマンツーマンの酒席の付き合いです。
しかも、○クハラ(当時は無為で無関心でした)が日常化してました。
無為の境地に逃げ込んだ4年目
無為の境地
無為の境地とは、言ってしまえば「感情を無にするしかない」ということです。そうでもないと正気を保てなかったんだと思います(本当に記憶が曖昧(笑))。
このときは悪くなくても、事が丸く収まるために、すぐ謝ってました。
この書類のココを直して!
はい、直しました(言われたように直した)。
ちがうだろー!!(怒)
申し訳ありません。
どこかで聞いたセリフですよね(笑)
余談ですが、あのニュースを見たときは退職後でしたけど、ボスがフラッシュバックしました。
体重が減っていく
無為の境地という技を編み出したわけですが、やはり、心が持ちませんでした。
この頃、仕事はだいたい午前様(昭和か!(笑))。
そうすると、必然的に食生活が乱れます。
夜中にCoCo壱、焼き肉プラスお酒のコラボが決まってました。異常な量を食べていたにもかかわらず、体重は減る一方。
精神的不調をきたした5年目
ミスミスミス、、、
この頃には、ありえない凡ミスをするようになってました。
もちろん仕事に手を抜いてるつもりはありませんでした。でも、ミスが起きてしまうんです。
それで怒られる、そしてミスをまたするの繰り返し。
この負のスパイラルは、自分ではどうしようもありませんでした。
バーンアウト
くるべくして来たバーンアウト。
ベッドから起きれない。
出勤することを体が全力で拒否をしていることがわかりました。
心療内科で休職のための診断書をもらうこととなりました。
法律知識の初めての実践
自分の退職のために、ひたすら基本書、裁判例を調査しました。
一般的にも知られてますが、退職願ではなく退職届を出すとすぐに辞めることができるということになってます。
ただ、念には念をいれて、退職届を配達証明付きで到達日を法的に証明できるようにしました。
今では退職代行サービスという便利なサービスがあるのは羨ましい。
それでも簡単にはいかない
それがボスです。
「引き継ぎしてない」
「ネットワーク関係は、シーサんじゃないとわからない」
「ホームページ管理はどうするの」
なにかと理由をつけて、辞めさせないようにしてきました。
さらには仕事でいつもお世話になっていた外部の方々を使って慰留してきたり。正直、これには心が揺れました。
やっと果たせた退職
完全に退職が決まったとき、なんとも言い表せない気持ちになりました。
清々しくもあり、これからの不安を感じたり、複雑でした。
でも、間違いなく言えること、それは
「心をすり減らしてまでの仕事は、本当の意味で誰かの心の支えになれない」
ということです。
会社の案件は、ほぼすべて人と人との争いに関わることでした。
これからの自分の役割は、誰かの生活が少しでも幸せになるようにお手伝いをしたいと決意しました。
そのためには、心の健康が一番大事であり、それは、自分が関わる人すべての人の心が健康でいられるように、僕は生きていきます。